映画は何を観るかより誰と観るか

「映画は何を観るかより誰と観るかだよ」

中学の頃、僕の好きだった女の子が言っていた。

ちょうど自意識が芽生え始めた頃。 スクールカースト真っ只中、彼女にとっての映画は「イケてる自分を演出する手段」だった。 映画を観たいがために映画を観るのではなく、"映画を観る"というイベントをクラスのイケてるメンバーと一緒に行うことで自身のイケてるポジションを固めることが目的なのだ。

なにを観たんだっけかな、部活仲間とその当時流行っていたなんてことはない映画を観にいった。 「そのメンバーで映画行くとか面白いね」など散々笑われた挙句吐かれた言葉が冒頭のそれだ。 バカにされて悔しかったのもあるけど、"誰と行くか"の方が重要だなんて、なんとなく不純でかっこ悪いと思った。 認めたくなかったし、認められなかった。

しかし、当時の僕らにとってそれは絶対的真実だった。

 

「映画は誰と観るかより何を観るかだよ」

大学の頃、僕の好きだった女の子がそう言っていた…訳ではないけれど。

その子は「わたし、映画観たあと感想語り合ったりするのイヤなんですよ」と言っていた。 語り合うのを嫌がるぐらいだから、誰と観るかより"何を観るか"の方を重視していると言っていいだろう。 (「感想の語り合いじゃなくてお前がイヤなんだよ」と思っていた可能性は考慮しないものとする)

いや、一緒に映画観に来てるんだからさ…と思ったけれど、今なら彼女の言うこともわかる気がする。

きっと彼女は映画を観て生じた感情全てを大切にしてあげたかったのだと思う。 誰の解釈も気にせず好きな感想を抱いたまま眠りたかったのだろう。 (繊細で気難しい彼女はこうわかったようなことを言われるのを嫌うだろうけど)

大学生からは僕も一人で映画を観に行くことが増えた。 映画は面白い。その2時間を精一杯受け取って、たっぷり感じて持ち帰る。

誰と観るかより…というよりもはや、誰かと観ることより「何を観るか」が圧倒的に重要だった。

 

今日も一人で映画を観て来た。

渋谷ユーロスペースで『この世界の片隅に』を観た。 ここでは感想を書かないけど、素敵な映画だったからぜひ観てほしい。

エンディングが流れ出したとき、前の席のカップルの彼女の方が彼氏の肩に、ことんと頭を預けた。 ああ、いいなあ。 残念ながらこの感情を説明できるほど文章力もなければ自分を俯瞰できてもいない。 ただ、物語が僕の生活に占める割合が増えていくほど、物語は僕の生活と疎結合ではいられなくなっているように感じる。 映画の中に閉じられない感情もあるのだと思った。

スクールカーストでのし上がらなくていいし、感想を聞かなくてもいい。 他人に見せびらかすでも誰かと共有するでもなく、君は何を思ったんだろうなあ、と思いを馳せてみたい。 少し前まで僕を好きだった女の子がそう思わせてくれた。


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乳首アプリをリリースしたよ

もう半年ぐらい前なんだけど、乳首アプリをリリースした。 乳首をつついて脱色する iPhone アプリだ。

 

Don’t Touch Me ! カテゴリ: ゲーム, エンターテインメント, アクション

 

Apple は下ネタに厳しく、1度目は当然のごとく審査に落とされた。

理由は「乳首をつつくという主旨が下品だ」とのこと。 コンセプト全否定!下ネタに厳しいってこと知ってはいたのに何故かすっかり忘れてた。 ※下品で落とされた例としてはこのアプリがすごい↓ http://ima.goo.ne.jp/column/article/3096.html

しょうがないから乳首に見えないように修正。 まず、デフォルトの背景を肌色から青に変更。つついたときに出る「乳首」って声もセリフをユーザーが自由に設定できるようにした。 そうして、この絵は乳首なんかじゃない、乳首に見えるなら下品なのはお前だ!審査員!と言わんばかりの内容にしたらなんとかリリースできたよ。 もはや何がしたいアプリかわからないけどね。

遊ぶときは背景を肌色に設定してね。 白乳首にできたら鳥貴族ぐらいおごるよ。

このブログは人間によって書かれています

機械学習という言葉をご存知だろうか。

文字通り「機械が勝手に学習する技術」らしく、「人工知能」と相関が強い。最近「ディープラーニング」という概念が発明され、その進化スピードは格段に速まった。

有名なのはGoogle音声認識サービスだ。一昔前の音声認識というと、なかなか思ったように聞き取ってもらえなかったが、あるタイミングで突如改善されたような気がしないだろうか。その"あるタイミング"というのが、ディープラーニングの発明らしい。

聞きなれない単語が続出し困惑した人もいるかもしれない。要は「機械がめっちゃ賢くなる、ヤベえ」ってことだ。

今日は、そんな機械学習への 哲学または妄想としての興味 を書き散らかす。
(技術の話ではありません、ということ)

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ブログの創造主であり破壊神

小説家か歌手になりたいと思っていた。

自身の考えを語るにあたり、“自身の考えである”という前提が窮屈すぎるからだ。

掟上今日子の備忘録』の最新話を観た。 観たと言うからにはドラマ版である。 最新話の内容について、ネタバレを含め紹介する。

自意識の強い少女がいた。

少女は自身の好みを晒したくないがために、本を買うときもわざわざ興味のない本まで一緒に買うという手の込みようだった。いわゆる、エロ本を買うとき雑誌のあいだに挟む術だ。

しかし、本作の語り部である隠館厄介に自身の本当の好みを見透かされてしまう。実際は見透かされてなどいないが、少女からはそう見えた。 少女は、好みを悟られた恥ずかしさと、周りの人々に言いふらされるのではないかという恐れから、厄介の殺害を計画する。

自殺に見せかけるその殺害計画においても、自身の自殺(殺害)理由を知られないため、また、勝手な推測すらもされたくないがために、「嘘」の遺書を用意する。

 

小説家や歌手は、物語の登場人物や歌を通して延々と自分の考えを語りながら、「それが自分の考えである」という前提に縛られない。素晴らしい。 そして、小説や歌が最も素晴らしく美しいものだとするのならば、ブログはどうだ。 “それが自分の考えである”という前提に縛られるどころか、“そんな自分の考えを語りたい”という前提まで周知することになってしまう。なんという醜さだ!

ブログは、ブログこそが最も愚かで醜い。 自意識によってブログを始め、自意識によってブログが許せなくなる。自意識もブログも矛盾している。

救われるには、掟上今日子の備忘録にあるように「嘘」をつくしかない。 このブログに嘘を2つ混ぜた。スープに混ぜた1滴の隠し味が、この自意識の救世主とならんことを。

 

掟上今日子の備忘録

掟上今日子の備忘録

 

 

バケツプリンを食べたことにどれほどの意味があるのだろうか

森絵都『永遠の出口』を読んで。 

永遠の出口 (集英社文庫(日本))

永遠の出口 (集英社文庫(日本))

 
 
 

「今から就職したときのことなんて心配してたら老後にゃ死後のことばかり心配するようになっちまうよ」

当時僕の周りでSNSといえばそれはTwitterFacebookではなく、mixiのことだった。大学生になり、周囲の行動は留学やイベントなど社会的な雰囲気を帯び、「将来どうするか」なんて話題も増えてきた。そして、その 「将来どうするか」は高校までのそれとは違っていた。

冒頭の言葉は、そんな大学2年生の頃の僕の"マイミク"の言葉だ。

僕は他の社会的な学生のように将来に向き合う気になれず、その言葉に甚く感動した覚えがある。

 

感動したついでに留年した僕は家庭教師のアルバイトをしていた。
生徒はいつも「勉強したくない」「学校の奴らがウザい」と愚痴を吐いていた。「勉強よりプログラミングしよう。ウザい奴らは無視すればいいしもうじき会わなくなるんだから気にすんな」……と思ったが言わなかった。生徒にとっては今が永遠だ。卒業後の生活も将来の成功も関係ない。
「学校は弱肉強食だ。負けたくないならぶん殴ってでも反抗しなければならない。それができないなら潔く負けを認めろ」と教えた。

僕が中学に入学した頃、歯の矯正をしようと親に言われた。たった1年矯正すれば、その先一生の歯並びが良くなる。しかし、当時はその1年間矯正器具をつけている事がどうしても嫌で断固として矯正を受け入れなかった。おかげで僕は今でも前歯が少し空きっ歯だ。
もし自分の子供が同じ事を言ったらバカだと思うだろう。
未来を悩むのはくだらないし、過去の悩みはちっぽけになる。今が永遠だーー

しかし、今の悩みは壮大だと思っても、数年経てばその悩みは陳腐化する。必死に悩んだことが陳腐になるのは悔しいけれど、その悔しささえすぐに陳腐になっていく。その悔しさも陳腐化するなんて寂しいけれど、その寂しさも同様だ。

すべての悩みや感情は風化し、人は皆死に、人類は滅び、地球さえも消滅する。
思考は洗練され、雑念はかき消され、ほんとうに大切な気持ちだけが胸に残る。

モテたい。

赦してほしい

「赦す」と「許す」はどう違うのだろう。

なんとなく、「許す」のほうは悪いことをして、謝って、責めるのをやめてもらう、というイメージ。 「赦す」のほうは、それら一連の動作がぼやけている。悪いことと自覚しないままの身勝手、わがまま、甘えを、謝ることもなく(または気付くこともないまま)受け入れてもらう。

「赦す」には言葉にされないコミュニケーションがある。甘えられる信頼と受け入れる優しさがある…

なんて書く時間があればGoogle検索で意味の違いを調べることもできたけど、それをしない自分でも赦されたい。 なんでも卒なくこなせるカッコいい大人より、できなくても赦される大人に憧れる。

芸能人が中身のない数行のブログ書いて200コメント付いたりする、ああいうの。 将棋の名人が見た目に無頓着でどこか挙動不審だったりする、ああいうの。 バンドマンが夢を語ればクズでも稼ぎがなくてもヒモになれる、ああいうの。

小説家の朝井リョウが「ファッションとかわからないんで、とりあえずいつも人に勧められたフレッドペリーの服着てます」とか、そういうの。 銀杏BOYZ峯田和伸がインタビューで「この数年の世間の変化とかどう思いますか」と聞かれて答えた「世間の変化とか全然わかんない。自分の周りだけ。○年前彼女と別れた、ぐらいかな」とか、そういうの。

うん。

言いたいことは以上なんだけど、 こんなブログでも赦してくれるかな。

前夜

映画の公開にあわせhuluでドラマ版が配信された『みんな!エスパーだよ!』を観た。面白い。エンディングの演出が好きだ。 その流れで、石崎ひゅーいの『夜間飛行』を聴いている。当該曲収録アルバムのタイトルは『独立前夜』だそうだ。

いいね。”前夜”っていい。 前夜って好きだ。

僕は中学高校とバスケ部だった。そんなに上手くなかったから大会は半分他人事だったけど、それでも「大会前夜」は好きだった。 大会前日は練習も軽めだった。翌日に備えてみんな早くあがり、しーんと静まる体育館。不思議な心地よさがあって、なかなか帰る気になれなかった。

前夜ってすてきだ。

例えば、卒業前夜とか、引っ越し前夜とか、結婚前夜、退職前夜…. 考えてみると、前夜ってのは何かと別れるときなんだね。夢中で走ってきた人にとって(またぼーっと歩いてきた人にとっても)、別れと向き合う最初のときであり、ただ漠然と感傷に浸れる最後のときなんだろう。 そんなことを考えた今夜は一体何の前夜なんだろうな。