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このブログは人間によって書かれています

機械学習という言葉をご存知だろうか。

文字通り「機械が勝手に学習する技術」らしく、「人工知能」と相関が強い。最近「ディープラーニング」という概念が発明され、その進化スピードは格段に速まった。

有名なのはGoogle音声認識サービスだ。一昔前の音声認識というと、なかなか思ったように聞き取ってもらえなかったが、あるタイミングで突如改善されたような気がしないだろうか。その"あるタイミング"というのが、ディープラーニングの発明らしい。

聞きなれない単語が続出し困惑した人もいるかもしれない。要は「機械がめっちゃ賢くなる、ヤベえ」ってことだ。

今日は、そんな機械学習への 哲学または妄想としての興味 を書き散らかす。
(技術の話ではありません、ということ)

山登りで崖から飛び降りる

一般的に機械、人工知能といえば「単純計算は得意だろうけど、クリエイティブな作業は人間にしかできないでしょ?」というイメージだろう。 しかしあるところで聞いた話によると、どうやらそれが全くの間違いらしいんだ。

例えば、山登りのコース決めにおいて、突然崖を飛び降りるという選択は、パッと見危険で、人間は無意識レベルで除外してしまう。しかし、実はそれが案外リスクも小さく時間短縮もできるベストな選択かもしれない。

機械はこのような、人間が無意識レベルで除外してしまう選択もできる。人間には思いもよらない選択ができるということだ。だから、新しい発想が必要であるクリエイティブな作業にこそ有利だというのだ。

ベイマックスvs人間

ベイマックスが出たとき“『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った”というブログが炎上した。 ブログの内容は「チームで作られたベイマックスの脚本は素晴らしかった。個人の作家性に頼る日本の映画はもうダメだ」というものだ。

個人的には日本映画のクセのある脚本の方が好きだ。 しかし、ベイマックスは十分すぎるほどに面白かったし、件のブログが著者の本心かどうかは別にして、それに同意した人もいただろう。

件のブログが炎上した燃料は、事実として「日本映画の方が面白い」という意見より「日本映画の方が面白くあってほしい」という感情だと思う。 すなわち皆「チームが多数決で作ったモノより、個人が作った"人間味"溢れるモノの方が面白いはずだ」と思いたいんじゃないか。 というのも、僕はそう思いたいからだ。 個人の価値を守るため、個人の製作物の価値を主張したくなる。

ベイマックスの製作手法は機械学習に近いように思う。 機械学習がもう少し発達し機械が物語を書くようになれば、きっとベイマックスのような物語を書くんだろう。

チームvs個人の構図は、ベイマックスを機械が書けるようになれば、機械vs人間になる。 しばらくはベイマックスより個人作家が人気だろうが、それはある時点で逆転するだろう。(ちょうど最近の将棋界のAI vs プロ棋士のように)

機械が作る明晰夢

ときどき考える。 明晰夢のなか、すべてが思い通りになる世界で一生過ごせたら、それは幸せなんだろうか。

幸福の考え方には、感情的幸福と、哲学的幸福があるとする。(こんな言葉があるのかは知らない。このブログにおいては僕の造語だ) 感情的幸福とは、例えば、深夜においしいラーメンを食べること。感情が幸せだと感じること。 哲学的幸福とは、表現が難しいので、哲学的不幸とすると、例えば、狭い村の中で他の世界を知らずに一生を終えること(幸福とするか不幸とするかは人それぞれだが、言葉の意味が伝わりやすいだろう例を選んだ)

哲学的不幸は基本的に、幸福か否かを本人が知ることはできない。 明晰夢の話は、感情的幸福で哲学的不幸だと考えられるだろう。

明晰夢の世界は、機械学習が発達した世界に近いように思う。 機械が物語を書くにとどまらず、これが発展すれば、人間の仕事はすべて機械に置きかわると言われている。 すべての仕事が機械に奪われ、人間はただ一生のバカンスを過ごすようになったとき、僕らは何を思うんだろうか。

何かをもらうことより、何かを与えたり作ったりすることに価値を感じる人は多いだろう。 それは承認欲求だとか、自己肯定という言葉になるのかもしれない。

マズロー欲求階層説では"自己実現欲求"が一番上に来ている。 機械がすべての仕事を奪ったとき、人は何をどうやって自己実現するんだろう。

さらに言ってしまえば、"どうせそのうち機械に奪われる仕事"で何をどうやって自己実現するのだろうか。 ここで言う仕事とは、単なる労働ではなく、他者のために行うアウトプット全般を指す。

ソクラテス老害

ソクラテスの逆説という有名な話がある。 リンク先(yahoo知恵袋)の内容をかいつまんで紹介する。

ソクラテスは「文字を使うと、人間の思考力や記憶力が弱くなってしまう」と考え、文字を使うことに反対した。それを聞いた弟子のプラトンがその話を文字として書き留めたことで、ソクラテスの考えは後世に広く伝わった。 ソクラテスは文字を嫌ったが、彼が嫌った文字のおかげで、その思想は広く伝わることになった…という逆説というか皮肉な話だ。

まあ、ソクラテスの逆説の正確なところはあんまり関係ない。 僕はこの話を初めて聞いたとき、なんとなくこう思った。 「ソクラテス老害っぽいな」

こう言う老害、よくいるよね。 今だったら、「電子書籍はダメだ。紙の感触がなきゃ」みたいなことを言う人。 別にそれぞれの人がどう思おうと勝手なんだけど、それを正義としてこれ見よがしに振りかざすのは残念な感じがしてしまう。

しかし、そんな老害の気持ちも半分はわかる。 僕は未だに、ボーカロイドの歌声を受け付けない。 また、塾講師のアルバイトをしていた頃「年越しの瞬間は、友達と会ってた!」と言う中学生の話をよくよく聞くいたら、"アメピグの世界の話"だと判明し、それを"会ってた"と表現されたことにカルチャーショックを受けた。

言葉が文字になったらダメだと言う人、文字が電子書籍になったらダメだと言う人、もしかしたらその延長線上に、"友達と会う"という表現は現実世界じゃないと認めない人、物語は人間が作ったものじゃないとダメだと言う人がいるのかもしれない。

つまり何が言いたいのかというと、 新しい文化に馴染めない老害は自分より若い世代を不幸(特に"哲学的不幸")に感じるけれど、若い世代は全くそれを不幸に感じておらず、むしろ時代について行けず偏見で若者を不幸扱いする老害こそ哀れ(哲学的不幸)に感じるという歴史は繰り返され、 機械学習が発達した世界もその繰り返しであり、その時代の人も変わらずにそれぞれの幸せを追っていくんじゃないか、

だからそんなことについて考え夜更かしするのは無駄だし、 翌朝必ず後悔するというのに、僕はいつになったら学習できるのだろうか。 /03:34 am

 

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