センスだけが足りない焦り

2ヶ月前に引っ越しました。
ちょうどその頃仕事が忙しかったりその後すぐサンフランシスコに行ったせいで、部屋がずっと引っ越し後のごちゃごちゃした状態のままでした。
帰国して数日の休日も経て今日でようやく部屋が片付いたかな、という感じです。

さあ、家具を買うぞ!ソファーが欲しいぞ!
...と思ったけど、あれ?どこでどんなソファーを買えばいいんだろう。


さて、ゴールデンウィークです。
残念ながら少し仕事が残って1日は出勤しますが、2日以降は休みで6連休です。

さあ、連休だ!ボーナスも残ってるし、気分転換に遠くへ行こう!
...と思ったけど、うーん、どこに行けばいいんだろう。


僕は決してお金持ちではありませんが、社会人になってしばらく経ち、一通り買いたいものを買い、引っ越しも済ませ、ようやくお金に余裕ができ始めました。

よっしゃ〜これからはある程度好きなものを選んで買えるぜ!
と、喜ぶべき状況のはずなのに...悩ましい。

お金がないうちはとにかく一番安いやつを選べばよかったのでどれを買うかなんて迷うことはありませんでした。
買えるものを買って満足するしかなかったし、満足できなかったとしてもそれはお金がないせいでした。
当然のように「お金さえあれば自分はもっとカッコいい買い物ができる」と信じていました。

しかしお金ができたことで「お金があってもセンスがないとカッコいい買い物はできない」ことに気づきました。
そして僕はセンスがありませんでした。


センスだけが足りないんです。

誰のせいでもなく"ただ自分に才能がないせい"なのです。
お金がない悩みとはまた違った絶望があります。

自分のポテンシャルの底に到達してしまった気分です。

繰り返しますが、僕は決してお金持ちではありません。
ポテンシャルが浅いから相対的にお金がある感覚がしているだけです。
僕がこの投稿で「お金がある」と強調するぶんだけ「僕はセンスがありません」と言っていることになるのです。


そうそう、仕事でもそうなんです。

ずっと「そのうち企画的なことやりたいな〜」と思っていたことが予想外に叶って「じゃあ企画してみなよ。面白かったら会社でやるから」と言われてしまいました。

う、うん、や、やったー。

....でも、どうすればいいんだろう?
やりたいとは言いつつなんの努力もしていませんでしたし勝手にまだ先の話かと思っていました。

チャンスが与えられないうちは「チャンスないからな〜」と言い訳することができましたが、チャンスが与えられてしまえばそんな言い訳はできません。
できないとすれば誰のせいでもなく"ただ自分に才能がないせい"なのです。

センスだけが足りないんです。


今まで奥底に潜んでいてなかなか実態を拝むことのできなかった「自分のポテンシャル」がいきなり白日のもとに晒されたような心地です。
幸運に恵まれたことで、今まであまり感じたことのない焦りを覚えています。

少しずれた話になるかもしれませんが、今の僕のような気持ちを「焦燥」と言うのでしょうか。

ちょうど最近読んだ『ぼくは勉強ができない』で、大学進学など進路に悩む主人公「時田秀美」に対して年上の彼女「桃子さん」が以下のように諭していたのが印象的でした。

焦燥というのよ。(中略)でも、それって、ちっとも、だいそれた気持じゃないのよ。大きな服を着せられた子供がむずかるようなものよ

僕も、いきなり晒されたポテンシャルがびっくりしてしまって、この焦燥をだいそれた気持ちに感じてしまっていたようです。
「大きな服を着せられた子供がむずかるようなもの」ならば、身体が大きくなるのを待ちましょうかね。

いろいろ幸運には恵まれましたが、まだ「桃子さんみたいなサイコーのお姉さんが欲しい」という願いが叶ってないので、これが叶ったらがんばりますね。

ぼくは勉強ができない (文春文庫)

ぼくは勉強ができない (文春文庫)