優しさには力が必要だ、という話
『彼女がその名を知らない鳥たち』という映画を観てきた。
映画の内容をものすごく無理矢理な断面で切り取るなら、優しいが不潔な男が蒼井優にウザがられ、不誠実なイケメンが蒼井優を楽しませる物語だ。(繰り返すけど、ものすごく無理矢理な断面だ)
優しさには力が必要だ、と思った。
力のない男がいくら誠実に好意を示しても気持ち悪ければ迷惑だ。 一方で、不誠実なイケメンはその場しのぎの嘘で軽く弄ぶだけで女の子を喜ばせる。
いくら尽くしても力のない男の愛情はめんどくさいし、いくら不誠実でもイケメンには力があるからだ。
優しい男が損をして、チャラい男が得をするよね〜なんてことを言いたいのではない。不誠実だろうがチャラいイケメンの方が女の子を幸せにしている=優しいのではないか?という話だ。
優しくなりたいのであれば、尽くすのではなく、力を付けなくてはならない。
お金で考えるともっとわかりやすい。
僕はそれほどお金持ちになりたい欲求はなくて、そこそこのお金でまあまあ楽しく過ごせればいいかなと思っていたんだけど、最近ではこれってすごく独り善がりな考えだと気付いた。
お金があれば、親に最新の家電をプレゼントして親孝行できるし、子供がいれば教育費をがっつりかけてやりたい事を応援できるかもしれない。好きな女の子がいれば、きれいなレストランに連れて行ってとびっきりおいしいものを食べさせられるかもしれない。
お金がいらないとは、それら他人を喜ばせることを放棄することだ。
募金なんかもっと象徴的だ。
毎日街頭に立って悲劇を叫ぶよりも、お金を稼ぐ力があって、財力があればぽんと大金を出せるかもしれない。
財力が誰かを喜ばせる力、すなわち優しさになる。
とびっきり誰かを喜ばせたい…!
優しくなりたい…!
力が欲しい…!
というわけでジムに来たけど休館日だった。
喜ばせる誰かは特にいないけどいつかのその日に備えて今日は家でゆっくり休息力を高めることにした。
ついでに言うと、やっぱり誰を喜ばせるわけでもなくともただお金持ちになりたい。