裏切りの人間性と、奇人的自己紹介による自由の獲得

素敵なダイナマイトスキャンダル』という映画を観てきた。


映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』予告編

「母親がダイナマイトで心中した」という自己紹介

これは、小学校1年生のときに実の母が不倫相手である自分の友人とダイナマイトで心中をしたという経験を持つ末井昭の自伝の映画化となる。
小学校1年生のときに実の母が不倫相手である自分の友人とダイナマイトで心中をしたという経験...
やばすぎる。

作中でも、主人公である末井昭がその事実を知らない登場人物に母親のことを尋ねられ「いや、俺の母親、ダイナマイトで心中したんスよ」と答えるシーンが度々登場する。

母親がダイナマイトで心中するなんて、不憫極まりない。
悲しい出来事だと思うし、自分はその立場になりたくない。
世の中からもそんな出来事はなくなって欲しいと願う。

それはそれ、これはこれとして、だ。
「母親がダイナマイトで心中したんスよ」という自己紹介、ちょっと良いな。

この自己紹介があれば、この先のコミュニケーションがどれだけ奇人でも許される。

キャラという束縛と、裏切りの人間性

よほど気が大きい人間でない限り、一度くらいは自分のキャラ、立場によって悩んだことがあるはずだ。
「こんなこと言いたいけど、自分のキャラ的に言えない...」みたいなことだ。
真面目キャラで通っていれば急に下ネタとか言えないし、おちゃらけたキャラなら面白いことを言わなければいけないプレッシャーを感じたこともあるだろう。

気にしなければいいだけだけど、気になるもんは気になる。

僕自身はその見た目からか、真面目に見られがちだ。
確かに、"一般的な規範を守る"という意味では真面目だけど、特に勉強に関しては確実に不真面目だった。

夏休みが明けても夏休みの宿題は手をつけてすらいなかったし、大学では授業に行かず家で寝ていて単位を落としまくった。
そんな人間性でありながら、初対面の人には真面目に勉強するタイプだと思われた。思われて、何度も裏切ってきた。

勝手な先入観を裏切ることが悪いことだとは全く思わない。
だけど、その勝手な先入観を抱かれる度にちょっとだけドキドキして変な感じがする。

この人、僕のこと真面目な人間だと思ってるけど、違うんだよな。
でもわざわざ「僕は不真面目な人間です!」って言うのもおかしいし自意識過剰だ。
とすると、何か偶然のタイミングでこの人は気づくのだろう。それはどんなタイミングで、この人はその時どんなことを思うんだろう。

そんなことを考えていてモヤモヤする。

いまいち共感できない人は、髪をバッサリ切って出社(登校)した日の気持ちを思い出してほしい。
誰も何も思わないとわかっていてもちょっとドキドキする。
「あ、髪切ったんだね」と言われるまで、「この人は気付いたのか?」「なんて思ったんだ?」と考えてしまう。
とは言え自分から「ほら、髪切ったんですよ!どうですか?」と言うのも図々しい。
裏切りの人間性を抱える気持ちは、まさにこの気持ちだ。

束縛からの脱却

もともと、わざわざこうやって束縛と語るには大げさなほど小さい束縛だけど、この縛りがグッと緩んで生きやすくなる出来事があった。
留年だ。

勉強に不真面目で授業に全然出席しなかった僕は、当然のごとく留年した。
学費と生活費を出してもらった親には心底申し訳ないと思っているが、僕にとって留年はサイコーの人生経験だった。
「留年生です」と自己紹介してしまえば、真面目に勉強をするやつだと思われない。後から裏切ることもない。最高。

「不真面目だったり少しでも変わった経歴を持つこと」は、「不真面目で変わっていても赦されるということ」だと思った。

奇人的自己紹介

で、その点において「母親がダイナマイトで心中した」は最強だ。
そんな自己紹介を言われたら、そいつがどれほど破天荒なことを言い出しても納得するだろう。

どれだけ急に変なこと言っても気にならないだろう。そりゃあ変なこと言っても、しても、母親がダイナマイトで心中した経験を持つならしょうがないなと。

奇人的な自己紹介をすれば、どんな人間性になろうが赦される。
奇人的な自己紹介を手に入れることは、自由を手に入れることだ。

結論

まあだからと言って母親がダイナマイト心中するとか無理だし、無理じゃなくても絶対いやだ。 じゃあどうすればいいのかっていうと具体策はあんま思い浮かばねー。だけど、自分のキャラとか流れとかをぶった切って、少し外れた要素を持とうと意識して日々生活することでそのうち報われるんじゃねぇの?
期待を裏切って急に話を終わらせたりすんのもたまには良いと思うぜ。
じゃあなバイバイ