ブログの創造主であり破壊神
小説家か歌手になりたいと思っていた。
自身の考えを語るにあたり、“自身の考えである”という前提が窮屈すぎるからだ。
『掟上今日子の備忘録』の最新話を観た。 観たと言うからにはドラマ版である。 最新話の内容について、ネタバレを含め紹介する。
自意識の強い少女がいた。
少女は自身の好みを晒したくないがために、本を買うときもわざわざ興味のない本まで一緒に買うという手の込みようだった。いわゆる、エロ本を買うとき雑誌のあいだに挟む術だ。
しかし、本作の語り部である隠館厄介に自身の本当の好みを見透かされてしまう。実際は見透かされてなどいないが、少女からはそう見えた。 少女は、好みを悟られた恥ずかしさと、周りの人々に言いふらされるのではないかという恐れから、厄介の殺害を計画する。
自殺に見せかけるその殺害計画においても、自身の自殺(殺害)理由を知られないため、また、勝手な推測すらもされたくないがために、「嘘」の遺書を用意する。
小説家や歌手は、物語の登場人物や歌を通して延々と自分の考えを語りながら、「それが自分の考えである」という前提に縛られない。素晴らしい。 そして、小説や歌が最も素晴らしく美しいものだとするのならば、ブログはどうだ。 “それが自分の考えである”という前提に縛られるどころか、“そんな自分の考えを語りたい”という前提まで周知することになってしまう。なんという醜さだ!
ブログは、ブログこそが最も愚かで醜い。 自意識によってブログを始め、自意識によってブログが許せなくなる。自意識もブログも矛盾している。
救われるには、掟上今日子の備忘録にあるように「嘘」をつくしかない。 このブログに嘘を2つ混ぜた。スープに混ぜた1滴の隠し味が、この自意識の救世主とならんことを。