圧倒的に飽きたから世界を変える
飽きた。圧倒的に飽きた。
何に飽きたって、全部だ。
正確に言うと、飽きていた。
飽きていたことに気付いた。
--
気付けばまたブログを書かずに日が空いた。
日が空けば空くほどとっておきのブログを書きたくなるけど、空けば空くほど何も書けない。
これはいけない。駄作を気にしないために、駄作で駄作を上塗りする方針で生きる。
--
気付き
母が東京に来て、一緒に遊んだ。
昼は目白のとびっきりおいしいと評判のケーキ屋さんに連れて行き、
ケーキを持ち帰って家で一緒に食べるなどした。
上京した大学生の頃からずいぶん変わったもんだなあと思った。
そのケーキ屋さんに初めて来たのは、池袋に住む前、大学生の頃だった。
とびっきりおいしいケーキを買いたいと思って調べて、
当時住んでいた下高井戸から自転車で来たのだった。
コンビニアイスさえ買うのを躊躇する学生だったから、
ケーキ屋でケーキを買うことなんてほとんどなかったと思う。
やたらと緊張しながら注文したことを覚えている。
今となっては何に緊張したのかもわからない。
そんな頃からずいぶん変わったものだと思った。
別に成長したとは思わない。ただ経験済みの体験が増えただけだ。
母と別れた夜、僕には予定があった。
下北沢の古本屋でのフォークシンガーのライブを観るというなんとも素敵な予定だ。
店内はそう広くないからマイクも使わない生演奏だ。
古本の匂いを嗅ぎながらフォークソングを聴けるなんて素晴らしい体験だと思う。
でも僕には既視感があった。
それもそのはず、このイベントに来るのは今回で3回目だったからだ。
古本の匂いも、狭い店内に響く生歌の迫力も、友達のような距離感で話されるMCも全て経験済みのことだった。
会場に向かう道中で気付いた。
ああそうか、飽きているのだと気付いた。
ライブのことだけではない。近頃の生活全般に飽きているのだと気付いた。
最近の自分の気持ちの答えを見つけたみたいで不思議な納得感があった。
そうか僕は飽きていたんだ。ハイスペでもモテモテでもないけど、大きな不幸も不遇もない。
強いて言えば友達がいないぐらいでけっこう恵まれているはずなのになんとなく気分が上がらないのは、全てに飽きたからだと気付いた。
非合理な飽き
"飽き"は残酷でどうしようもない。
誰も何も変わっていないのに、変わっていないからこそ退屈してしまう。
どうして飽きるなんて感情があるんだろうか。
安寧の場所を見つけてそこに永住できた方が幸せだろう。
安全に生きようと思ってこの身体を操作しているのに、心はわかってくれない。
安定した生活を手に入れたのに、心は喜んでくれない。
なんてものわかりの悪い心だ。
安定して繰り返しの生活の方が絶対安全で幸せでしょう?
心を目の前に連れ出して話ができるなら説得したい。
しかしそんなことを言ってもしょうがない。
心はどうしようもなく退屈を感じてしまう。
僕らは(少なくとも僕は)飽きてしまう生き物なんだ。
飽きからの脱出
ちなみに、件のライブはめちゃくちゃ良かった。
始まる前は3回目だから飽きちゃったなという気分だったのに、こんなに良い気分にさせてくれるなんて、やっぱりプロのミュージシャンはすごいと思った。
その能力に感動し、嫉妬さえする。
そのミュージシャンは、東京に住んで、関西に住んで、また東京に戻って来たと言っていたかな。
歌の中には東京の思い出がいくつも出てきた。
「自分を変えるためには、付き合う人か、仕事か、住む場所を変えなければならない」と聞いたことがある。
決意を新たにするとか、人とか関わらない新しい習慣を始めても変わるのは無理で、上記に挙げたものらを変えなきゃダメだってことらしい。
学生にはけっこう酷だなと思うけど、幸い僕はもう社会人だ。
付き合う人も、仕事も、住む場所も自分で選ぶことができる。
圧倒的に変化したい。圧倒的に変化するには何ができるだろうか。
海外とか住めたら最強だなあ。日本でも東京以外のどこか、九州とか北海道ぐらいまで離れて暮らしてみたい。
そんなことを考えながら、東京の思い出が散りばめられた歌を聞いていたら、東京のことがめちゃめちゃ愛おしく感じてきた。
東京を離れるかもしれないと思うと、東京の思い出が全部素晴らしいものに感じられて来たし、だからこそ離れなければならないと思った。
この圧倒的な飽きを脱出するためには、東京を脱出しなくてはならない。
世界を変える
件のライブから1ヶ月は経ったけど何も動かないままだ。
飽き性と面倒くさがりというのはかなり最悪の組み合わせだなと思う。
そんなだからなんとなく憂鬱になって、なんとなく『嫌われる勇気』を読んだ。
少し前に話題になったアドラー心理学の本だ。知っている人にとっては今更かよって感じだろう。
でもこれ本当に素晴らしかった。
本の中で紹介されているアドラー心理学は、人間は自分の世界の全てを「主観」で把握しているとし、この主観との付き合い方について熱く語っている。
「あなたは、たった今この瞬間から幸せになれる」と言うほどだ。
というか、アドラー心理学はともかくとして、生活に退屈した自分にとって、哲学はかなりぴったりだと気付いた。
アドラーに言われるまでもなく、僕らは主観を通してしか世界を把握することができない。すなわち、主観を変えることは世界を変えることだ。
一冊の本に、世界を変える可能性が秘められている。
付き合う人も変えず、引っ越しもせず、転職もせずに世界を変える方法があったとは。
"飽き"の解消のためにこんな方法があったのかと驚いた。
自由を感じる
心理学&哲学最強。
読みやすい本を探してみようと思う。
とりあえず今はアドラー心理学が楽しい。
アドラー心理学は「現実がどういうものか?」と原因究明をするための概念ではなく、
「どうやったら幸せに過ごせるか?」を目的に徹底的に幸福を追求しているのが好きだ。
使うための心理学とのことだ。読んでいて楽しい。
何より、主観を変える心理学は世界を変える可能性がある。
世界を変える可能性は自由を感じられる。
何はなくとも自分の退屈の原因が圧倒的な"飽き"だと気付いて、
自分には圧倒的な自由があると感じられることで、
かなりの救いになるのだと思った。
そんなこと言ってるとまた何もしなくなってしまうけど、せめて必死にこの自由の感覚だけは忘れずに生活したい。
実際の脱出はどうしようかな。
福岡とかいいよね。九州は新しい。京都もいいな。森見登美彦を読み込んで予習したい。
怠け者すぎて全然動き出せる気配がないけど、まあ必要になったらやるでしょ、と楽観視している。
ここまでとにかく書き殴った。
最後に、件のアーティストが、僕が前に住んでいた下高井戸に関するnoteを書いていた。良かったので共有する。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (114件) を見る