大人になるか子どもでいるか、自分が変わるか世界を探すか
最近、自分の子どもっぽさが嫌になることが増えた。
学生の頃はまだ良かったんだけどさ、もう27歳だよ。そろそろ大人になりたい。やれやれ嫌になっちまうぜ。
そんなことをボヤくと、当然ながらこう言われる。
「大人になるってどういうこと?」
当然の疑問なのに、その時僕は答えられなかった。
そんな中、この前Netflixでドラマ『最高の離婚』を観て気付きがあった。 第3話にこんな会話があった。
「諒君ってね、楽なのよ。めんどくさくないの。」
「あ〜大事。男の価値って、めんどくさいかめんどくさくないかで決まると思うんです!」
「男はそこがわかってないの。こだわりがどうとか」
「男のこだわり…最悪!」
※諒君: 綾野剛演じるモテ男
めんどくさい…それだ!
この話においては「男の価値」とされているが、これこそ僕の考える「大人になる」だ。
大人になることは、めんどくさくなくなることだ。
大人のおっさんってさ、めんどくさくないよね。自分の人生やポジションをわかっていて、適切な距離を取り、納得していてそれ以上を求めない。実にめんどくさくない!
子どもっぽさが嫌になるときは、まるっきり逆のことをやってしまっている。自分の人生もポジションもどこに当てはまってどうなるのか全然わからない。人との距離の取り方も全然わからん。わかんないから納得もできないしちょっと良いポジションに期待しちゃったり素敵な人に憧れちゃったりしちゃう。これがね、(他人からしたらきっと)実にめんどくさい!
大人に憧れて大人のフリをしようとして、これが余計にめんどくさくさせてしまう。
例えば「自分ブサイクだからさあ、誰にも認められず、さみしくて…」と呟けば明らかにめんどくさい人間だ。これがめんどくさいのはわかる。だからそんな明らかなめんどくささを避けて、なんやかんやの辻褄を合わせようと「いや、なかなか他人に心を許せなくてね…」みたいなことを言ってしまう。めんどくさいこと避けようと、よりめんどくさいことを言ってしまっている気がして落ち込む。
大人のフリをしようとしても、大人の余裕がなければめんどくさいままだ。
そんなことを考える最中、昨日今日で『夏の前日』という漫画を読んだ。全5巻だからサクッと読める。
- 作者: 吉田基已
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/12/07
- メディア: Kindle版
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これ、最高だった。
端的に言えば、絵画に没頭する気難しい美大生の男が、美人で粋なお姉さんにかわいがられながら見守られながら恋をする話だ。
この主人公の男青木が、ほんとぉ〜にめんどくさいやつ。
でもさ、めんどくさいままに愛されていたんだよね。めんどくささ含めてまるっと愛に包まれていた。
夢。
この主人公青木には絵画があるし、そもそもフィクションだ。
でもこうしてめんどくさい男がめんどくさいままに愛されてる…これが、これこそが最高じゃないか。
めんどくさくても赦されたい。
めんとくさいまま愛されたい。
そりゃあ愛されるために自分が変わるよりは、変わらないままの自分を愛されたいよね。
それじゃ愛されないから大人になりたかったんだけど、夏の前日を読んでしまったら羨ましすぎて大人になる気を削がれてしまった。
あーあ、まだしばらくは大人になれないかも。